2008年01月23日
南洲神社に行ってきました。
庄内と鹿児島のつながりは深い。
戊辰戦争で庄内藩が降伏した際、
新政府軍の実質トップだった西郷隆盛による処分が寛大だったのが縁。
酒田市には西郷隆盛にかかわる「南洲神社」がある。
ずっと行こうと思っていたけど、ようやく実現。
南洲会館が隣にありましたが、日曜日は休みということで閉まっていました。
今回は、外回りだけ。
「徳の交わり坐像」
西郷隆盛と庄内藩家老菅秀実が、鹿児島の西郷屋敷で「徳の交わり」の誓いあったことを記念



南洲会館には資料がいろいろあるらしいけど、日曜日休館は困った・・・。
戊辰戦争で庄内藩が降伏した際、
新政府軍の実質トップだった西郷隆盛による処分が寛大だったのが縁。
酒田市には西郷隆盛にかかわる「南洲神社」がある。
ずっと行こうと思っていたけど、ようやく実現。
南洲会館が隣にありましたが、日曜日は休みということで閉まっていました。
今回は、外回りだけ。
「徳の交わり坐像」
西郷隆盛と庄内藩家老菅秀実が、鹿児島の西郷屋敷で「徳の交わり」の誓いあったことを記念
南洲会館には資料がいろいろあるらしいけど、日曜日休館は困った・・・。
Posted by bin at 20:01│Comments(5)
│歴史・文化・芸術
この記事へのコメント
縁、不思議なものですね。必然と言えばそうだし、偶然と言えばそうかも。
庄内と鹿児島の縁とは何だったのでしょうか。
そしてそれを具現化したものは何だったのでしょうかね。
ちょうど今日、仕事の仲間(一回り上の人)と、酒を飲みながら、縁とは不思議だと話していた所でした。
庄内と鹿児島の縁とは何だったのでしょうか。
そしてそれを具現化したものは何だったのでしょうかね。
ちょうど今日、仕事の仲間(一回り上の人)と、酒を飲みながら、縁とは不思議だと話していた所でした。
Posted by yoshi at 2008年01月23日 23:07
そんな関係だったとは
Posted by わっしー
at 2008年01月23日 23:53

[yoshi]さん、こんばんは。
人間関係はふしぎ。
いくら仲良くしようと努力しても憎しみ合う場合もあれば、
命をかけた戦いを繰り返しながらも、仲良くなれる。
西郷さんの人格・生き様と、庄内藩士の波長(人間的価値観)が一致したんでしょうね。
人間関係はふしぎ。
いくら仲良くしようと努力しても憎しみ合う場合もあれば、
命をかけた戦いを繰り返しながらも、仲良くなれる。
西郷さんの人格・生き様と、庄内藩士の波長(人間的価値観)が一致したんでしょうね。
Posted by bin at 2008年01月24日 00:07
こんにちは。私は今、酒田に住んでいますが九州は福岡の生まれです。両親は宮崎生まれで、母方の祖先は「禁門の変」で西郷ドンと共に戦っています。そんな私が、山形に暮らし、酒田に住んでいる、これも「縁」です。
「南洲会館」日曜休みなんですか。私は元日に行ったのでかえって開いていたのでしょうね。宗教団体でもない、単なるヴォランティアなので休みの日にはやっていないのかもしれません。有志の会費で運営されているはずです。
元日の記事をTBさせて頂きます。
「南洲会館」日曜休みなんですか。私は元日に行ったのでかえって開いていたのでしょうね。宗教団体でもない、単なるヴォランティアなので休みの日にはやっていないのかもしれません。有志の会費で運営されているはずです。
元日の記事をTBさせて頂きます。
Posted by balaine at 2008年01月30日 16:03
[balaine]さん、こんばんは。
貴ブログ、立ち寄らせていただきました。
由緒正しいお家柄なんですね。
日枝神社の額が南洲翁の書によるものとは知りませんでした。
南洲会館では勉強会も開催されているようですが、
土曜日なので会社も休めないし・・・・。
いつも残念に思っています。
コメントを書き込もうとしましたが、
mail addressを入れないとダメなんですね。
貴ブログ、立ち寄らせていただきました。
由緒正しいお家柄なんですね。
日枝神社の額が南洲翁の書によるものとは知りませんでした。
南洲会館では勉強会も開催されているようですが、
土曜日なので会社も休めないし・・・・。
いつも残念に思っています。
コメントを書き込もうとしましたが、
mail addressを入れないとダメなんですね。
Posted by bin
at 2008年02月01日 23:22
